小学校受験の願書は父親が書くべきか母親が書くべきかで悩む家庭に向けて、書き手を決める前に考えたいこと、文体が割れる本当の原因、欄ごとに分ける実践的なやり方までをまとめます。
10月、テーブルの上に願書一式が広げてある。
封筒も、下書き用のコピー用紙も、もう揃っている。
あとはペンを持つだけ、というところで、手が止まる。
「これ、どっちが書く?」
その一言のまま、麦茶の氷がひとつ溶ける。
「父親が書いた方が、しっかりして見えるのかな」
「いや、普段の様子を知っているのは母親だから、そっちのほうがいいのでは」
そんなやり取りが、ペンを持たないまま続くこともあります。
書き手について学校が何か決めているなら、それは募集要項に書いてあります。
「保護者が記入」とだけある学校もあれば、記入上の注意がもう少し細かい学校もあるかもしれません。
まずは要項の注意書きを、一度だけ落ち着いて読む。
そこに指定がなければ、どちらが書いてもかまわない、と受け取ってよいはずです。
読まれるのは、誰の字かより、書かれている中身のほう。
家庭の形も、ひとつではありません。
父親と母親がそろっている家庭もあれば、ひとり親で育てている家庭も、祖父母が日々の世話を担っている家庭もあります。
問われているのは、誰が書いたかより、その紙にその子の毎日が映っているかどうか。
そう考えると、「父親か母親か」で止まっていた手も、少し軽くなるはずです。
とはいえ、複数の人間で一枚の願書に向き合うと、別の壁にぶつかることがあります。
それが、文体の割れです。
誰が書いてもいい、と分かっても、実際に複数人で書き進めると、思わぬところでつまずきます。
志望理由の欄は父親が下書きし、子どもの様子の欄は母親が書き足す。
よくある進め方ですが、できあがったものを通しで読むと、どこかちぐはぐに感じることがあります。
ある欄は「〜と考えております」というかしこまった言い回しで統一されているのに、別の欄は「〜だと思います」と柔らかい。
ある欄は一文が長く、別の欄は短い言い切りが続く。
内容に問題はなくても、読み手からすると、まるで二人の人間が交代で書いたように見えてしまいます。
実際、二人で書いているのだから当然ではあるのですが、読む側の学校はそんな事情を知りません。
この判定ツールを作るとき、AIが生成した文章と人が書いた文章を、並べて読み比べました。
そこで気づいたのは、AIが書いた段落を人が手直しして貼り合わせた文章ほど、途中で急に語り口が変わる、という特徴でした。
前半は整いすぎていて、後半だけ急に生活の手ざわりが出てくる。
複数の書き手が欄をまたいで手を入れ合った願書も、これと近い読まれ方をすることがあります。
一文単位で交代して書いたり、相手の書いた文章を部分的に直したりすると、この割れ目はさらに目立ちやすくなります。
Before例は、前半がかしこまった言い回しで、後半が急に平易な報告文に変わっています。
After例は、どちらの文も「見た場面」から入っているので、一人の目で書かれたように読めます。
文体が割れる原因は、書き手が複数いること自体ではありません。
途中で交代したり、相手の文章に部分的に手を入れたりする、その「継ぎ足し方」にあります。
では、複数人で書き進めながら、文体を割らないためにはどうすればいいのか。
答えはシンプルで、一つの欄を最初から最後まで、同じ人が書き切ることです。
志望理由の欄、子どもの様子の欄、家庭の教育方針の欄。
願書にはたいてい複数の欄がありますから、欄ごとに担当を決めてしまえば、一つの欄の中で語り口が変わることはなくなります。
誰がどの欄を担当するかは、性別で決める必要はありません。
学校の説明会に何度も足を運んでいる人が、志望理由の欄を書く。
日々の送り迎えや習い事の付き添いで、子どもの素の表情をよく見ている人が、様子の欄を書く。
そんなふうに、実際に材料を持っている人が書く、という決め方のほうが、結果として自然な文章になります。
担当を決めたら、途中でその欄に手を加えるのは避けたほうが無難です。
「ここ、こう直した方がいいんじゃない」
そう思う場面が出てきても、その場でこっそり一文だけ書き換えるのではなく、担当者に戻して直してもらう。
この一手間を省くと、また文体が割れる原因に戻ってしまいます。
欄をまたいで気になる点が出てきたときは、書き終えたあとにまとめて相談する時間を作るほうが、結局は早く進みます。
分担を決めても、二人の関わり方に差がついたように感じることがあるかもしれません。
ただ、願書は誰が多く書いたかを競うものではなく、子どものことがいちばん伝わる形にたどり着くための作業です。
書く欄が少なかった側にも、大事な役目がまだひとつ残っています。
欄ごとに分けて書き終えたら、提出前にもう一段階、忘れずにやっておきたいことがあります。
自分が書いていない欄を、もう一方が通しで読むことです。
書いた本人は、その欄の中の言葉に慣れすぎていて、多少の硬さや浮いた言い回しに気づきにくくなっています。
一方、その欄を書いていない側は、初めて読む人に近い距離感で文章を見られます。
「ここ、急に他人行儀な感じがする」
「この言い方、ちょっと立派すぎない?」
書かなかった側だからこそ拾える違和感は、案外多いものです。
たとえば、こんな夕方。
書き上がった願書一式を、書いていない方がキッチンのテーブルでひと通り読み返す。
志望理由の欄を読み終えて、ふと顔を上げ、「ここだけ、なんか固いね」とひとこと。
書いた側は「え、そう?」と言いながらも、その一文だけ読み返してみる。
そんな小さなやり取りが、欄と欄のあいだの温度差を均していきます。
読み合わせで見たいのは、細かい言葉づかいの好みではありません。
欄をまたいで読んだとき、同じ家庭の、同じ子どもの話として一貫して読めるかどうかです。
この確認は、書いた本人だけでは気づきにくく、かといって完全に他人に見てもらうのも難しい、ちょうど中間の距離感が必要な作業です。
家庭の中でその役目を果たせるのは、書かなかった側しかいません。
客観的に見ているつもりでも自信が持てないときは、赤ペン願書ラボの無料セルフチェックツールに文章を貼り付けてみる方法もあります。
抽象的な言葉や、型どおりの言い回しが続いている箇所に印がつきます。
このツールは、AIの利用を隠すための道具ではありません。
誰が書いたとしても、そこに子どもの日常が言葉として残っているかを確かめるための、ただの手がかりです。
封筒に入れる前、もう一度だけ、書かなかった側が最初から最後まで目を通す。
その一手間があれば、父親が書いたか母親が書いたかは、もう誰にも分からなくていい。
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